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by sunshin-kiko
| 2019-01-17 08:19
| 公開掲示板
ご案内が遅くなりましたことお許し下さい。 毎年の仕事始がこのセミナーです。広島に向かう時期の寒さは年ごとに異なりますが今年は、また本格的な冬将軍に歓迎されそうな予感が漂っています。後期高齢者になってしまう老身ですが、教員仲間として今年も参会者の皆さんから熱気をいただいてこの「老輩丸」も出航することにいたしましょう。広島での再会を楽しみにしています。 この案内(要項)では分かりづらい方は、ご一報願います。添付ファイルでメール送信いたします。 #
by sunshin-kiko
| 2019-01-09 06:22
| 公開掲示板
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by sunshin-kiko
| 2018-11-02 06:45
| 公開掲示板
『指導と研修』を重視した校務分掌 ~教員の成長(変容)を期待する組織づくり~
学校規模の現状に手を拱いていては、打開策等は産まれない。 その再考を意識した検討は急務であると考え込んでしまった。 その現状を露呈する「独りの教員」の足掻きと遭遇したからである。 筆写は、校長職を最後にして教育現場から離れた。勤務地(神奈川県内)では大規模化する学校の分離問題等の視点は学校経営的な視覚から常に問題視されていたので「過疎化と学校教育」の相関関係についての研修もなかったので深く考えることもなかった。このこと自体は問題ではない。恐らく旧現場でも「過疎化」の波に呑まれそうな状況下に至っている地域も出現しているだろうとの予測までに至ったのが今回の学校訪問であった。
届いた現場からのメールが兆候の一端を覗かせている。以下にその苦悩を紹介して感想をお伺いしたい。
≪授業者の感想≫ ・・・【前略】1時間のふりかえりまでできなかったことを反省しました。「固体」「液体」「気体」「状態変化」など、教科書に出てくる語句を用いて、相手に伝えるという『言語技術』を身につけさせることができていない、というご指摘をいただき、今後の生徒の学習活動の中にそのトレーニングを取り入れていきたいと、強く感じました。 教科指導の中で、教えるべきことと、生徒に考えさせてその思いを拾い、次の授業に生かすことの両方を、単元によっては使い分けていくことを教えてもらいました。まず、自分の授業内での生徒の気づきや発見を、私自身がよく観察し、それを認めとりあげるという授業の展開をつくっていきたいと感じました。また、本校のような小さな学校では、他の教科で、どの生徒がどのように活躍しているのか、教員間での横のつながりを密にし、生徒指導をふくめた教科指導に生かしていけるように努力したいと感じました。 本日は、ご指導ありがとうございました。
≪教務主任の感想≫ 5・6時間目には、「理科の指導が一番苦手」と言われながら、的確に理科の授業の改善点を指摘していただきました。「危険がなければ、自分たちでとことん活動させて、そこから課題を見つけさせる。50分の授業中20分はやらせる」という先生の言葉は、理科だけでなく教師主体で授業を進めがちな中学校の授業を改めて考え直すきっかけになりました。 また「小規模校で1教科1人の教員しかいないことを逆にいかし、他教科の先生たちと情報を共有して指導していくとよい」という話も、改めて考えさせられました。どうしても自分の教科外だと、身構えてしまい込み入った話ができずにいましたが、今の状況をプラスに考え、いろいろな視点で生徒を育てていきたいと強く思いました。・・・【中略】・・・ 今回は1人しか授業を見てもらえなかったのが残念です。できるだけ多くの職員の授業を見てもらい、角田先生のご指導を共有してきたいと思いました。
『指導』と『研修』の実態
去る10月22日(月)の午後日程で現職教育の一環として計画された外部講師招聘事業であったようだ。授業は第5校時、事後研究会は第6校時に特設されていた。退職後15年間を全国の学校訪問要請指導に対応している筆者にとって、今回は正真正銘の処女航海の事後(授業)研究会であった。教務主任より特筆(上述)されている通りに「最も苦手な教科だった(児童・生徒時代)」理科の授業を指導することに相成ったのである。 笑いごとではない!しかし、見透かされたとおりに授業者の満足を得る助言や指導などが皆無の時間となってしまった。この種の「分科会」の類には学校経営者である校長・教頭の出席はないのは学校文化の常識である。しかし、もし、双方のどちらかが今回の公開授業者と同じ教科免許取得者であれば出席を強いることも経営上のメリットに成り得たかも知れない。 しかし、現実は違った。 事後研究会の出席者は、➊教務主任(国語)、❷校務主任(社会)/市・教科指導員、❸市・教科指導員(保健体育)の3名であった。学校経営の中枢を担う精鋭であることは確かである。しかし、公開授業は理科である。教科指導助言で授業者に「教科指導」の先行実践を通しての自信と勇気と意欲をもたせることはかなり厳しい現状となる。しかも、期待して遠隔地から呼び寄せた筆者は元・中学校の教員であることは事実であるが理科の教科指導を通しての細かなアドバイスは極めて困難であった。「事後研究会」の不成立をお詫びしなくてはいけない。責任を感じて恐縮至極の数時間であった。
授業者の授業後の感想を述べられて初めて認知することになった実態である。名ばかりの先輩教員の醜態となってしまった。勤務する中学校で「独り」で3学年の授業を担当すると言われるまで中学校における「教科会」という位置づけの重要性を確実に理解しているという自負心が崩壊してしまったのである。このままでは生徒たちの学力伸長を保障することが出来ないことになってしまう。授業者への「教科の特性とその指導法」を伝授できる何らかの方策を講じなければ伸びようとする授業者を放置してしまうことになる。最大の問題点は「生徒の学力」の補填の弱さを感じ入ってしまった。 学年単学級規模の中学校に赴任した教員が、勤務期間中(在任中)に指導意欲喪失にでも至ってしまっては当市の教育財産の「宝の持ち腐れ」になるだろう。 これは全くの私案である。 早急に「指導強化担当者」(仮称)として、退職者を募り該当者を配置して、補強すべき学校を巡回される方法を採用して欲しいのである。初任者には国や県レベルでの施策で充当されているのは、また別の意味で重要である。1中学校に教科1名の担当者配置では、事務量もさることながら技術力や指導力のアップのための外的刺激が無さ過ぎる。これは市教委の呼びかけと「地域の先輩教員」の熱意があればこのような現状はないと考えている。この現状は、1個の「学校」だけでは解決できない大問題である。
『生徒指導と授業』の絡み合い
これは、荒れ狂った昭和50年代に中学校教育現場に勤務していた筆者(30歳代)の学級担任時代の苦しい喘ぎ声となって今でもハッキリと思い出せる状況下での筆者の叫び声でもある。 問題を起こした生徒たちの指導を「夜の家庭訪問」で補っていた頃である。保護者の帰宅時間に玄関先に立って指導業務が始まる。満足感など失せて夜道を自宅に帰ると日付が替わっていた夜は数え切れない。彼らが今や40歳になっている。その二世が中学生になっている頃であろうか?生徒指導という服務に多大なる時間を労した。本務である授業中も指導を中断させられたこともあった。多くの生徒たちがその都度、「授業をチャンと受けたい」と切望していたことも分かっていた。 6時限の授業を終え、部活動指導を済ませ、職員室の机上でその日の残務を終える頃には早くても7時を時計は回っていた。事務量が嵩んでいると学校を出るのは9時になることも多かった。帰路の脳内は「授業で生徒指導を!」との願望を描いたものだった。同僚にその考えを伝えても笑いで吹き飛ばされた。 中学校が「生徒指導会議」なる労務に振り回されるのが許せなかったのである。学年主任の命を受け中学1年生から3年生までの3年間に「生徒指導は授業で!」を学年指導目標として同僚に協力体制を促した。入学式の会場で「保護者への理解」を求めるべく学年主任としての学年経営案を説明した。若輩(41歳)であった筆者の熱意は前年度までの校内の荒廃ぶりを多くの保護者がご存知であったことが功を奏したと思われた。ここでは詳細は述べられないが3年間の「教師と生徒」の頑張りで学校が学校である本来の授業が為されたことで生徒指導に費やすエネルギーが激減したことで立ち直ったのだと回想している。
「授業姿勢の観察」と授業の追究
学校には3学級しかないからこそ、学年単学級の現状を重要視したい。 生徒増の例外地域を覗いてその兆しはない。ほぼ全域で「統廃合」という括りで行政的な動きが活発になっているのは疑う余地がない。ご多分に漏れず訪問した中学校もその波に呑まれそうであることを耳にした。 幸いにも授業(1年生だけであるが)を観察して「荒れる中学校」の要素は見受けなかったが、どの教科もほぼ1名の教科担当者が全学年の授業を担っているようである。授業者は教務主任のレポートでも「教科会」の不成立を嘆いてみても校内での対処の替案など浮かぶまい。 興味がある教科の授業を受ける姿勢を教科内容とは別の視点から観察できる機会を持ってみることをお勧めしたい。自らの授業と比較してみると「同一人物か?」と我が眼を疑いたくなる光景と出くわさないだろうか? 小規模の中学校であることを考慮に入れて観察時間を20~25分間としても十分だと考えても良いだろう。自らの授業態度(学習姿勢)を振り返りながら、正確な姿勢を比較しながらその違いが教科に対する「興味関心」に因るものだと納得すれば指導者は、担当教科の特長を前面に出しながら生徒の関心を引き付ける方法を考えることを優先させたい。 具体策を講じない理想論として却下されても返す言葉も無い。 だからと言って、現状のままでは教員の指導力を育てることができない。同一教科の指導者のいない教育現場には授業に「風穴も開かない」窒息状況下での指導を余儀なくされても仕方がない。最も辛いのは授業者ではないだろうか?校内の生徒たちは身内のように身近に感じられ親近感は高まるだろうが、「中学校での学習」という側面から考えるとその発展には困難が待ち受けている。せめて、授業観察会(仮称)を設けて、「担当教科指導者」という眼力で生徒たちの学習ぶりを観察して比べ合いながら改善策を探ることだけでも「他教科領域」での指導に新風をふき入れることができるだろう。それが、「生徒指導」というカテゴリーに活性の原動力に繋がるのではないかと期待したいのである。 #
by sunshin-kiko
| 2018-10-26 08:08
| 要請学校訪問で考える
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by sunshin-kiko
| 2018-10-01 06:27
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